今だから知りたい吉田松陰

第7回 諸国遊学と脱藩〜その1

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:吉田なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

生涯の友と師に出会う

気がついたら1カ月ぶりじゃないですか。夏休みが長かった分、話の内容も濃くなるんでしょうね、蔵三さん。


キミもなかなか痛いところを突くねぇ。ワタシだってそれなりに忙しいんだよ。まわりからあれをやれ、これをやれって言われて、まったくもって宮仕えはつらいよ。ところで“つらいよ”と言えば「男はつらいよ」だけど、あれは車寅次郎。本編の主人公、吉田大次郎も、正確にはいつ頃かわからないけど、だいたい20歳を過ぎた頃には寅次郎と名乗っていたようだね。

寅次郎かぁ。どうしても渥美さんのイメージになっちゃうなぁ。



「それを言っちゃあおしめぇよ」。あの顔の事はしばし忘れてもらって、19歳を過ぎてターボのかかった寅次郎なんだけど、『水陸戦略』が藩に認められて、須佐から赤間関、今の下関にかけての日本海側の防衛がどんな風になっているか視察してこいという命が下る。

あら、初めての出張じゃない。嬉しかったでしょうね。



普通の役人ならうまい酒飲んで接待受けて♪なんて考えるんだろうけど、寅次郎はマジメだからね。1カ月みっちり視察して回って、その詳細を『廻浦紀略』という日記に残した。

寅次郎君を視察させた藩の意図は何だったのかな?



長州っていうのは三方を海に囲まれているだろ。だから他藩より海防意識が高い。折しもこの頃外国船の来航が多数目撃されていたから、幕府が諸藩に海防強化令を出している。もはや海防というのは、長州一藩の問題ではなくなっていたんだ。

でも、広い世界を見てみたい寅次郎君にとって、出張は凄く刺激的だったでしょうね。


だと思うよ。この年、その後の長州を背負って立つことになる桂小五郎が寅次郎の門下生になって、翌年の嘉永3年(1850)には寅次郎の師となる佐久間象山が江戸で砲術教授を始める。時代が動き出すと同時に、寅次郎も動いた。かねてから希望していた九州遊学を許されるんだ。

やっぱりねぇ。旅行って1回行くとクセになるのよね。



グアムとかハワイの話じゃないの。とにかく寅次郎は世界の動向が知りたかった。だから当時唯一海外の窓口だった長崎を目指したわけ。寅次郎遊学の背景には、藩主である毛利敬親のバックアップも大きかったと思うよ。

殿様なのに寅次郎君の生徒でもあるのよね。



萩を出てまず向かったのが長崎。ここで、いろんなつてを頼って唐人館や出島のオランダ館を見学している。オランダ船に乗ったり、パンやワインを初めて味わったり、まるで疑似海外旅行だ。寅次郎が生まれて初めて体験した西洋は、凄く刺激的だったと思うよ。

何でも実際に見て、体験しないとわからないってことよね。



そう。「百聞は一見にしかず」だな。この遊学は、それまで萩の中だけで世界を見ていた寅次郎に、行動の大切さを教えてくれたと思うよ。次の目的地平戸では、元平戸藩家老であった葉山佐内や、山鹿流宗家の山鹿万助に師事して、改めて山鹿流を学んだ。

どこに行っても勉強好きなのね。尊敬しちゃうわ。



特に、葉山佐内の蔵書にあった『近時海国必読書』や『阿芙蓉彙聞(あへんいぶん)』といった海外事情を記した本には、アヘン戦争の詳細が書かれていたから、寅次郎は貪るように読んだらしい。

ワインとか外国船とかアヘン戦争とか、いっぺんにいろんな情報が入ってきちゃったのね。


この遊学がいかに実り多いものであったかは、この時の日記『西遊日記』を読めばわかる。その後寅次郎は長崎、熊本を経て長州に帰るんだけど、熊本で生涯の友に出会う。熊本藩の山鹿流兵学師範だった宮部鼎蔵(ていぞう)だ。

同じ山鹿流っていうことで親しくなったのかな。



それだけではないさ。互いに互いの優秀さを認め合ったということだろうね。宮部は寅次郎より10歳年上だったけど、奇しくも2人は、維新を目の前にして同じように悲劇的な死を遂げる。でも、それはまだ後の話。

歴史って、結末がわかっている分、残酷よね。



120日余りの遊学を終えた寅次郎は、翌年の嘉永4年、山鹿流で最高の免許である三重伝を授与され、藩主に山鹿流兵学の皆伝を授けるという栄誉も与えられる。だけど、寅次郎の頭の中はもう「見聞を広めたい」という欲望で一杯なんだな。今度は藩主・敬親の参勤交代に同行して、江戸留学を希望するんだ。

とうとう江戸かぁ。いよいよメジャー進出って感じよね。



3月に出発した寅次郎は、桜田にあった長州藩の上屋敷で寝起きしながら、安積艮斎(ごんさい)に儒学、山鹿素水に兵学を学ぶんだけど、勉強漬け、読書漬けの毎日の中で、経学、つまり儒教の聖書である経書の総合的な研究、特に王や聖人の発言に関する解釈に傾倒していくんだ。

相変わらずいろんな方面に興味を持っちゃうのね。



要するに武力というものは、方向性を誤ると凶器にもなり得る。これをいかに修めるかは指導者にかかっているわけで、偉大な指導者を学ぶためには、歴史や古事を学ばなければならないということだね。

はぁ〜。20歳そこそこでそういう考えになるのね。今の若者とは大違いだわ。


そして、洋学の大家であり、江戸で砲術を教えていた佐久間象山に出会う。この幕末最大の知識人との出会いが、寅次郎が潜在的に抱いていた欲望を目覚めさせるんだな。

何よそれ? 潜在的な欲望って…。



自分自身の「殻」を破りたいという欲求だよ。そのためには、今まで自分が積み上げてきたものを全て捨ててもいいという気持ちすらあったと思う。西洋の合理主義に触れた寅次郎にとって、古い常識や時代遅れの学問にこだわっていては、ステップアップできないという焦りが生まれたんだと思うな。

←松陰に多大な影響を与えた師・佐久間象山

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