今だから知りたい吉田松陰

第10回 密航計画〜その2

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:吉田なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

ペリーを感動させた情熱

だけど、ちょっと疑問だなぁ。



何が?



松陰さんみたいに頭のいい人が、いきなり外国船に乗り込もうっていうのは、ちょっと無謀過ぎるんじゃない?

確かに。宮部鼎蔵も同じように感じて、何度も思いとどまるように説得しているんだけど、松陰は頑として聞かなかった。しかし、このままでは遠からず日本が侵略されるかもしれない。もはや一刻の猶予もないというのが偽らざる心境じゃなかったのかなぁ。

でも、もし捕まっちゃったらどうなるかわからないじゃない。


そう。幕府に見つかれば死罪と言うこともあり得るから、下田では一応偽名を使って別々に宿を取り、弁天島の浜に小舟を隠して夜を待った。用意周到とは言い難いけど、松陰としては精一杯だったと思うよ。

で、その夜、どうなったの?



これがまた、結構マヌケな話なんだけど、小舟が砂浜に転がっていた。要するに満潮時に船を浮かべていたから、その後潮が引いたんだな。こうなると潮が満ちるまで待つしかない。

あはは。笑っちゃいけないか。でも困ったでしょうね。


潮が満ちるのを弁天島の祠(ほこら)でひたすら待って、夜更けになってやっと漕ぎ出そうとしたら、櫓を留めるための杭がないことに気がついた。和船の場合は、後方で櫓を左右に操るからね。これがないとどうにもならない。松陰たちは普段は舟なんか漕がないから、気がつかなかったんだろうな。

あはは。また笑っちゃった。



仕方がないから二人でふんどしのひもとか帯とかを巻き付けてなんとか動かせるようにした。その状態で沖まで漕ぐんだから大変だったと思うよ。

それじゃあ、二人ともかなり面白い格好で黒船に近づいたのね。


帯もふんどしも無いんだから、かなりみっともなかっただろうね。でも松陰たちは必死だ。やっとのことでミシシッピ号に舟を着けると、旗艦ポーハタン号への乗船を許可される。

何はともあれ、そこまでは成功したわけだ。



ポーハタン号には、サミュエル・ウェルス・ウィリアムという日本語ができる乗組員がいたから、松陰は手書きのメモを渡した。内容はこんな感じ。「我等両人、世界見物いたしたく候あいだ その御船へ内密に乗り込ませくれられよ 尤も、異国へ渡ることは日本の大禁につき、このことを日本の役人たちへ御話なされ候ては甚だ当惑つかまつり候 右のおもむき、御大将方、御せいいん候はば、明晩夜更けて柿崎村の浜辺へ伝馬舟一艘御寄せ候て、御迎い候よう頼みたてまつり候」

ははぁ、もしダメだったら役人には黙っていてねっていうことか。でも、その外人さん、よく読めたわね。

さすがに候文は読めなかったけど、ちゃんと仮名がふってあったから、だいたいの内容はつかめたようだね。加えて松陰は士官宛に請願書も用意してあった。これはエール大学に資料として保管されていたから、全文が明らかになっている。こちらは漢文で書かれていて、ウィリアムの中国人通訳、羅森が訳した。

へぇ〜、なかなか国際色豊かじゃないの。



この文は長いからここでは紹介しないけど、五大陸を旅し、西洋の文化を学んでみたいという希望が切々と綴られている。

それはペリーの耳にも届いたの?



もちろん。しかし、条約締結という非常にナーヴァスな状態だったからね。「気持ちは嬉しいが、今ここで幕府のルールを破ることはできない」という回答だった。まぁ、当然だわな。

やっぱりねぇ。そもそも無謀だもんねぇ。



しかし、結構悩んだフシがある。まず、アメリカの士官側は、松陰たちの勇気や毅然とした態度、加えて漢文に堪能であるということから、かなりの教養人であると判断した。彼らは松陰たちに好印象を持っていたんだ。

もしうまくいっていたら歴史が変わっていたかもね。


後にペリーはこんな風に回想している。「厳しい国法を犯し知識を得るために命をかけた2人の教養ある日本人の激しい知識欲は興味深い。この不幸な2人の行動は日本人に特有なものと信じる。日本人の激しい好奇心をこれ程現すものは他にない。日本人のこの特質を見れば、興味あるこの国の将来には、何と夢に満ちた広野が、何と希望に満ちた期待が開けていることか! 」

凄い。ペリーはその後の日本の将来まで予測していたんだ。でも、そう思うんだったら乗せてあげれば良かったのに。

その時松陰はひどい皮膚病にかかっていて、それが船内で伝染するのを恐れたからだという説もある。いずれにしても、失敗は失敗だ。失意の松陰は引き返すほかなかった。ところが、引き返そうにも乗ってきた小舟はすでに流されていた。

最初から最後までトラブル続きなのね、松陰さん。


仕方なく松陰たちはアメリカ側のボートで送ってもらうんだけど、その時大変なことに気がついた。所持品を小舟の中に置いてきたままだったんだ。

ってことは、舟が見つかったらすべてバレちゃうわよね。


そのままにしておけば、アメリカ側は黙っていてくれただろうけど、結局いつかは見つかって露見するだろう。だったら、逃げ隠れしないで堂々と自首しようじゃないかということになった。この辺の判断が、いかにも松陰らしくて潔いんだけどねぇ…。

松陰と重之助が潜伏していた下田の弁天島。現在は地続きになっている→

ページトップへ戻る